■日本でキワニスが誕生するまで
 日本におけるキワニスクラブ設立の動きが始まったのは1963年7月のことです。すでに日本において展開していた同種の社会奉仕団体と一線を画する意味から、産業界のみならず広く官界などからもメンバーを募る、という方針のもと、東京・大阪・名古屋の三地区からスタートすることが決まりました。この「エクセレント・メンバーによるクラブ運営」という日本独特の考え方については、アメリカ本部も了承し、創立趣意書の発起人には石川六郎(鹿島建設副社長)、北裏喜一郎(野村證券副社長)、小坂徳三郎(信越化学工業社長)、五島昇(東急電鉄社長)、鹿内信隆(産経新聞副社長)、原文兵衛(警視総監)などの各氏が名を連ねました。
 1964年1月、まず東京キワニスクラブが設立されます。同クラブでは会員の福田恆存(評論家)らの提唱で「キワニス文化賞」が創設され、翌1965年に第1回の贈呈式が行われました。
次の年の1966年1月には名古屋にキワニスクラブが開設され、この年の7月26日、いよいよ大阪キワニスクラブ(以下 大阪クラブ)設立世話人会が初めて開かれました。
     
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■大阪クラブのスタート
 大阪での設立に向けての準備は大島靖(大阪市助役、後の大阪市長)を中心に進められ、石丸忠高(大阪通産局長)、近藤道生(大阪国税局長。後の国税庁長官)などの各氏に協力を求めます。1967年に入ると1月末には鹿内、北裏両氏の尽力もあって永田敬生(日立造船社長)が大阪クラブの初代会長就任を引き受け、2月13日、大阪クラブ第1回発起人会が28名で開催され、同年6月27日、国内3番目のクラブとして無事に大阪クラブの設立総会がとり行われました。
 ちなみにこの時のチャーターメンバーは59名。役員は以下の方々で、
初代事務局は大阪市西区江戸堀の日立造船秘書室に置かれました。
 会 長 :永田 敬生(日立造船社長)
 副会長 :森岡 俊男(関西電力副社長)
  同  :大島 靖 (大阪市助役)
 会計監事:木村伊太郎(三和銀行常務)
 事務局長:木下 昌雄(日立造船常務)
■誕生後のあゆみ
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